歴史情報

羅生門の歴史情報

羅城(らじょう)とは,古代都市を取り囲む城壁のことで,羅城門は羅城に開かれた門です。中国では外敵防禦のため堅固な羅城が築かれましたが,日本では藤原京以来,京城の南面の羅城門の両翼のみに造られただけで,周囲には簡単な垣(土塁)と溝が設けられていたようです。

 

平安京の羅城門は,朱雀大路(すざくおおじ)の南端に建てられた都の正門です。読み方は,呉音で「らじょうもん」,漢音では「らせいもん」となります。「らいせい門」(『宇治大納言物語』『世継物語』) や「らせい門」(『拾芥抄』)とも呼ばれ,「らいしょう(頼庄)」(『延喜式』)や「らしょう」(『拾芥抄』)は俗称とされていましたが,中世には観世信光(かんぜのぶみつ)作の謡曲「羅生門」の影響からか「らしょうもん」が一般化したようです。

 

なお羅城門跡は江戸時代には,唐橋村(からはしむら)字来生(あざらいせい,現南区唐橋羅城門町)といいました。来生は「らいせい」のあて字です。

西寺の歴史情報

平安京には、中央に朱雀大路が通り、その南端に羅城門が建てられていました。そして羅城門の左右に西寺と東寺が創建され、それぞれ西寺は守敏、東寺は空海に下賜されました。平安京内では、この二寺以外、官寺として建設することは許されなかったそうです。

 

西寺は羅城門の西側に794年の遷都後間もなく建設され、東寺と同様に国忌が行われる等、官寺としての位置を保っていました。

 

しかし、律令体制の衰退とともに荒廃し、990年の大火により大部分の伽藍が燃え落ち、その後ある程度の再建はされましたが、1233年の火災で焼け落ちたとの記録を最後に、再建されることはありませんでした。

 

1959年から本格的な発掘調査が開始され、金堂・回廊・僧坊・食堂院・南大門等の遺構が発見されています。それに伴って1966年に史跡範囲も追加され、西寺北部でも大規模な建物があることが分かってきました。

 

現在は西寺跡として国の史跡に指定されており、唐橋小学校・西寺児童公園の位置に寺跡が確認でき、石碑が建てられています。

南区花園大学